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龍泉会は京都臨済宗妙心寺を大本山とする禅寺の親睦会です 

法雲山 龍泉寺りゅうせんじ

龍泉寺について

活動報告写真

 『寺籍調査』(1913年)によると、昔、常久庵・久昌庵・龍泉寺の三ケ寺があったが、永禄二年(1559年)年末に合併し、龍泉寺になったとの口碑があるとする。
 しかし『文禄検地帳』には、「屋敷一畝十五歩 寺」とあり、また久長庵というのがあって土地を十二筆ももっていたのを見ると、永禄二年の合寺に疑問が生じる。
 同寺蔵の『開山列宗禅師行状』(1705、蓮山記)によると、列宗全網(1595~1673)寛永十九年(1642)に五ヶ所浦正泉寺に住し、龍泉寺と兼住していたが、二見浦の堤刑部の請を受け、正保四年(1647)西村慈音庵(明治五年廃寺)に移った。
 その後については明らかではないが、讃岐の人寂首座が入寺していたということが、寛文五年(1665)二月の庄屋指出、四月の山田常勝寺の寺請書から知られる。
 列宗は二見の寒いのに困っていたところ、船越村の請をうけたのを幸いに、寛文五年九月、当山へ移住した。南伊勢町古和浦甘露寺が寺請をした。なお、六年のものでは、龍泉寺の在僧として、列宗和尚、乗首座を記している。列宗は、寛文十二年にもなお、住持職にあったが、翌十三年に寂した。
 
元禄十七年(1704)、開山塔を、甚右ェ門家の井戸に近いというので、高所に移した。
 正徳四年(1714)十一月、四世の代に殿鐘を置いたが、後破れたので、上野増太夫が新鐘を調え、享和三年(1803)六月二十四日に初撞をした。
 明治十五年七月、十世効学の代に、本堂・庫裡を再建する。


ともに安らかに眠らん

活動報告写真

龍泉寺墓地内に、合同墓ができました
大勢の方にお詣りいただいて、移設した延命地藏菩薩の像とともに開眼法要を行いました。(2012年3月)

 ✱合同墓規定

1.目的
 個別の墓を守り供養する承継者がいない場合、合同で納骨し、住職が代わって供養するためのものである。

2.形態
 合同の墓石“ともに安らかに眠らん”の中に納骨所を設けて遺骨を納める。

3.供養の方法
 墓石の横の墓誌に、戒名(または法名)、俗名、死亡年月日、年齢などを刻む(内容は希望により、費用は自己負担とする)。
一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌の法要を営む。(一周忌、三十三回忌は個別に、三回忌~二十七回忌は、春、秋彼岸の合同年忌の中で行う。関係者の参詣は自由とする。)

4.加入資格
 在住地、宗教・宗派を問わない。ただし、加入後は当寺の檀家と同様に扱い、法要は当寺の法式に則って行う。生前に加入することもできる。また、他の墓地から移転することもできる。

5.加入費用
 供養料として一体につき五十万円を納める。前納金は、原則として返金しない。

6.付則
 この規定は2012年2月5日から実施する。すでに龍泉寺墓地に墓石があり、撤去する場合、費用は自己負担とする。





龍泉寺

〒516-0109
三重県度会郡南伊勢町船越1576

TEL 0599-66-0336
FAX 0599-66-0336